ヴェネチアンガラス
Venetian glass
ヴェネチアは、漁業や、隣国イスラム圏との地続きな土地柄を生かした交易によって発展した街である。当時イスラム圏の地域では、胡椒や織物など東方産の珍しい品々が王侯貴族達を魅了した。中でも、とくに需要が高かったのが、イスラムのガラス工芸品である。それを見たヴェネチア人は、イタリアに古くから伝わるローマンガラスの技術を生かし、イスラムガラスを真似た品をつくりはじめた。これが、ヴェネチアンガラスの起源である。11世紀には、技術の保護、人材の育成のために政府がガラス製造業者の組合をつくるほど繁栄し、ヴェネチア国政府は、1291年、「ガラス工場の火災の被害を最小限に食い止めるため」という理由で、ヴェネチア中のガラス職人達を、ヴェスタ湾に浮かぶムラノ島に根こそぎ移住させてしまう。水に囲まれたこの国が、なぜ火事をそこまで恐れるのか? という疑問の通り、この理由は表向きである。ヴェネチア政府が「他国に真似をされ、財源を横取りされては一大事」と、とった強制措置であった。マイセン窯ではじめて磁器を焼き、技術漏洩を怖れた国王によって幽閉されたフリードリッヒ・ベッドガーのように、孤島に隔離されたムラノ島のガラス職人は、国から優遇され、貴族にも劣らない扱いを受けたが、その代わり、島の外へ出ることは一切禁止されてしまった。こうして、ヴェネチアンガラスの技術は門外不出のものとなる。そして「ムラノガラス」という新しい名前で輸出されたガラスは、その繊細な技と高い品質で、世界中にその名を轟かせるようになる。レースガラス、エナメル彩色といった様々なガラスの加工技術が試され、最高の技だけが伝えられていったガラス王国ムラノ。クリスタルガラスは15世紀に開発され、16世紀の中頃には、デザインを芸術家が手掛けるようになる。特に、ガラスの中にレース状の螺旋細工をはめ込んだレースガラスは、貴族に絶大な人気だった。ガラス工芸を芸術にまで高めたムラノガラスの組合制度は19世紀の初めまで続いたが、ドイツのボヘミアンガラスやイギリスのクリスタルガラスの台頭によって、組合制度は解体されてしまうのである。


アヒルがモチーフのタンブラー。18世紀。ムラノガラス美術館
 
骨董大辞典TOP

(C)Copyright kotto-fan.com All rights reserved.