トーネット
■一本の木材をアーチ状に大きく曲げてつくった背もたれの椅子に、一度は座ったことがあるだろう。木というものは曲げればポキリと折れてしまうはずなのに、なぜか優雅なアーチを描いて背中の重みを受け止めてくれる。木を曲げる方法―それは実は19世紀の発明なのだ。
■「木を曲げる技術」を開発し、それを駆使した椅子や家具を廉価につくり出して大量に普及させたのが、ミヒャエル・トーネットという人物である。彼こそが、レストランや喫茶店の椅子の背を、あたりまえのように曲線にした張本人なのだった。
メッテルニヒとの出会い
■ミヒャエル・トーネットは1796年7月2日、プロシア(現在のドイツ)のライン河沿いの町、ボッパルドに生まれた。父親フランツ・アントンは貧しいなめし革職人だったが、彼は父の仕事を継がず、木工芸の技術を身につけるため、建具職人に弟子入りした。
■1819年、23歳で独立し、ボッパルドのワルプルギスガッセに小さな工場を建てたトーネットは、腕のいい職人として商売を広げながら、木を曲げる技術をひたむきに探求した。しかし、その暮し向きは、決して楽ではなかった。
■1830年、トーネットは、自分の考案した技術の特許をイギリス、フランス、ベルギーなどに申請する。これは、水蒸気や膠などを利用して薄板を曲げ、曲面や曲線のある家具材を製作する技術だった。今でいう成型合板に似た技術で、彼としては自慢の研究成果だった。しかし、当時この技術はまったく評価されなかった。
■そんなトーネットに転機が訪れたのは1841年。この時、この地域の中心都市、コブレンツ市で開かれた産物品評会に、彼は自作のステッキや傘の柄、車輪などを出品したのである。この作品が、たまたま品評会を視察に訪れたオーストリア宰相、メッテルニヒの目にとまった。トーネットの作品に強い関心を抱いたメッテルニヒは、トーネットをヨハネスブルグ城に呼び、彼にウィーン行きをすすめた。そして、当時は城郭都市だったウィーン市の通行許可証と馬車一台を与えたのである。この出会いが、トーネットの運命を大きく転回させたのだ。
■1842年、ウィーンに移り住んだトーネット家族を出迎えたのは、オーストリア皇帝が「木材を湾曲させる技術」に対して特許を与えた、という喜ばしいニュースだった。
■ただし、これは後のトーネットを名高くする、ブナ材を曲げる技術ではなく、合成材の成型技術だった。
■さて、トーネットがウィーンで最初に引き受けたのは、リヒテンシュタイン宮殿の修復作業という大仕事だったのである。
量産家具への道 
■トーネットにとって第二のステップになったのは、1849年、ウィーン市内の「カフェ・ダウム」から入った椅子の注文である。これをきっかけにして、注文も増え、「ダウムの椅子」は後に、トーネットのカタログにも椅子?4として記載される。これが、トーネットによる初めての量産家具だった。
■すでにこのころには、旧式な木工芸による家具は、生産量が少なく、生産コストが高くつくため、時代から取り残されつつあった。まさに大衆のための「家具の量産化」が課題に上ってきていたのだ。
■この課題に応えるためには厚い木材が曲げられるかどうかがカギになるとトーネットは考えた。むろんトーネット以前に曲木家具がつくられていなかったわけではない。しかし、途中ではじけたり、亀裂が入ったりして、ごくわずかしか生産できなかったのである。
■数々の試行錯誤を経た末に、トーネットがたどりついた技法は、まず、材料として厚板や角棒でまっすぐなものを選んで熱し、柔らかくする。次に、木材の外側に、両端にアゴの出た鉄板の帯を沿わせ、そのアゴに木材の両端を固定して、鉄帯ごと鉄製の型(モールド)にはめこむ。そして、万力で固定したうえで、木材を鉄帯とともに曲げる。後は乾燥させて組織を固定すればよい。こうした曲木に最も適した木材は、山岳の北斜面に育ったブナの木だということも、トーネットは探り当てた。
■トーネットが考案したこの技法によって、はじめて、曲木家具を量産することが可能になったのだ。
万国博覧会での栄誉
■彼の事業にとって、さらなる飛躍のきっかけを与えたのは、1851年、ロンドンで開催された第一回万国博覧会だった。彼はこの大展覧会のラグジュアリー・チェアの部門に椅子を出品し、銅メダルを獲得したのである。これによって、彼の名は世界に知られることになった。ちなみにこの博覧会のためにジョン・バクストンが建てた「クリスタル・パレス(水晶宮)」は、天井の全面にガラスをいただく鉄骨構造物という、それまでの既成概念を打ち破る画期的な建築だった。トーネットは後に、クリスタル・パレスの窓枠デザインを、椅子?17のモチーフとして使っている。
■注文が増え、会社の規模が大きくなるにつれて問題になったのは、木材の不足だった。トーネット社は、量産化を進めるにともなって、何度もブナ材の繁殖地域を探すという課題に直面し、そのたびにブナ林の近くに新たな工場をつくるという動きを繰り返していく。
■こうした基礎の上に、トーネット社は全世界に販路を切り開いていった。数ある製品の中でも、最大のヒット作は、「最初のコンシューマー・チェア」と呼ばれる椅子?14である。その第一号は1859年に完成し、その後40年間に5千万脚の生産・販売を記録した。その6年後、1866年に発表されたのが椅子?18だ。「ウインナ・コーヒー・チェア」という異名があり、曲木椅子の代表作とも言われるが、元来は輸出用モデルとして開発されたものだ。ノック・ダウン(組み立て)方式で製作されており、輸出先で簡単に組み立てることができた。
■「学ぶ」ことは「ものまね」から始まると言われるが、このことは家具の分野にも当てはまる。トーネットが1857年に取得した曲木製造技術に関する特許は、13年後の1869年に消滅した。その時を首を長くして待っていた家具メーカーは、以後堰を切ったようにトーネット方式を模倣し始める。
■特に目立った動きを見せたのは、第一次世界大戦後にトーネット社と合併するヤコブ・ヨゼフ・コーン社である。なにしろ同社は、特許消滅の直前に設立されたのだ。1870年代に入ると、ライバル会社はオーストリアだけでなく、イタリア、スペインなど外国にも次々現れ、独自の発想やデザイン思想を生み出していったのである。
■関連項目

 
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