ブリキが生み出されたのは、15世紀後半から16世紀前半のボヘミアであるといわれている。当時のブリキはスズを鋳造し薄くのばしたもので、これがドイツ、イギリスへと伝わり、1800年代の始め、オランダより日本へもたらされた。当時は、薄い板という意味のティンプレートやオランダ語の発音そのままにブリックと呼ばれていた。江戸の頃、ブリキはもっぱら茶道具の風絽や茶托に加工される高級品だった。鋳造方法がわからなかったため、銅板を加工したり、ハンダを塗ったりしてブリキの質感を真似たものでつくられた茶托や鉢なども多く残されている。文明開化の華開く明治時代になると、輸入品として、諸外国より戦争ものの玩具がたくさん流通するようになるがやはり非常に高価であったため、なんとかして日本で安価なものをつくりだそうと、石油缶の廃材などが玩具に加工されはじめる。しかし、それは技術的につたないもので、塗装はすぐに禿げ、ハンダの接着も甘く、壊れやすいものだった。明治20年頃までにつくられた日本のブリキは、そのほとんどが、手描きの彩色である。日本の古いブリキの玩具は、その独特の色彩と、図案の豊富さ、ユーモラスさで海外でも人気が高い。明治30年頃になると木版、石版のプリント機械が輸入され、カラフルで愛らしいブリキ玩具の大量生産が可能になった。日本がブリキ大国ドイツに代わり、ブリキ輸出No.1国になるのは第一次世界大戦の頃である。 |
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おもちゃのハンドバッグ 明治から大正時代
当時の子供の憧れであったヒーロー、乃木大将と朝日旗、桜のデザイン描かれている。 |
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