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■ガラスは見せ物だった? そういった一般的なガラスが大量に出回るには、もう少し時間がかかった。 最初はまず人々がガラスという謎の物体を知ることが必要である。 そんな場合、今ならテレビ、インターネットに雑誌、ラジオ、いろいろある。しかし世は江戸時代である。 そこで登場するのが見世物小屋。 かの江戸の大天才、平賀源内の大発明、エレキテルだって・結局音が生きているうちは見世物でしかなく、「親の因果が子に報い」と、ドロドロと太鼓の音と同時に首が伸ぴるろくろ首と同じ扱いを受けていたのである。 しかし、まやかしみたいな見世物があったとしても、それは今の娯楽番組などと同じこと、まともななものも多々あった。 当時の見世物小屋はひとつの立派なショービジネスだったのである。 ガラスはまずこの見世物小屋の見世物になった。 掘っ立て小屋みたいなところで小さなるつぼに火をかけて、吹き竿に取ったガラスをプーっとふくらませてみせる小規模なものから、大々的な舞台をしつらえて「龍宮ここに出現したるごとく」とまで言われ、人々を驚かせるようなものまで様々だったらしい。 中でも「阿蘭陀船」を題材にとった大きな細工物は派手で豪華、ロングランのミュージカルみたいな盛況ぷりだったという。 ![]() 杯洗 共箱付 明治初期 |
それが日本各地でヤンヤの喝采を浴ぴて、やがてガラスは市民権を得て、広まっていったのである。 そしてあちこちに工房、工場ができてきた。もちろん「ギヤマン」と呼ばれる高価なものではなく、薄づくりの吹きガラス「び一どろ」で、その頃は玩具や、小さな盃、小ぴん、ちょっとしたかんざしなどが主だった。 喜多川歌麿の錦絵がその様子を描いている。「ぴいどろ師」とか「びいどろ吹き」などが有名で、特に「ぴいどろ師」という作品は、お得意の美人をぴ一どろを吹く職人に見立て、立て膝をした色っぽい女の人がるつぼの前で吹き竿の取ったガラス玉を吹いている。 その背景の棚には、ツイスト杯という脚のところに空気の筋をねじって入れてある今もつくるのが難しいグラスや、とっくりのようなぴんや皿が描かれ、頭上にはつくりたての風鈴がいくつも揺れている。 横に立つ女性が箱に入れて持っているのはねじりガラスのかんざしで、前の箱にはポッペンが置いてあったり、小ぴんが置いてあったりもする。 | まさか一軒の小さなガラスエ房でこんなにたくさんの種類をいっぱいつくっていたとも思えないし、ましてやこんなきれいなお姉さん方がお色気いっぱいにガラスづくりをしていたはずもないが、この絵は当時どんなガラスをつくっていたかを伝えてくれる。 それにあの「ぴいどろ吹き」である。今でもテレビ番組の背景に使われたり、CM、ポスターなどにも使われているおなじみの絵である。 絵の女性が吹いているのはポッペンである。 しかし、「ぴいどろ吹き」があまりにも有名なので、ポッペン自体がまるでガラスの総称であるびーどろであるかのような印象を受ける。 今やポッペン=ぴ一どろと思われているフシもある。 ということは、いかに当時この楽しい音がするおもちゃを庶民が買い求め、遊んだかということがわかってくる。 ポッペンは安かったそうだ。 当時のお金で8文という記録が残っている。 この頃(1800年代半ば)、そぱが1杯16文程度だったというのだから、その買いやすさがわかる。 しかし、安価なものが出回れば出回るほど、もっと技術を駆使した、もっと高度な、できるならば最局の出来ばえのものが欲しくなるのが人情というもの。 ヨーロッパから入ってくるギヤマンは重厚感たっぷりで、水晶のように透明ですぱらしく硬いのである。 きっと大名達は欲しがったことだろう。 大金持ちはいくらでも金を出すから…と思っただろう。商人はそんなガラスを売りたかっただろうし、職人だってつくりたかったに違いない。 何度も何度も試み、そして失敗を繰り返したのだろう。 | ![]() |
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